『古事記』を読む

文學と逃げず左右思想を持ち込まずスピに走らず学問的蓄積を飛び越えず内在する論理を信じ通説の否定をためらわず

第3回 天地の初発(天地初発から天之御中主神まで③)

[今回の内容]「天地」以前に世界は存在しませんでした。「天地」以前の世界をどう捉えるべきかについて、『古事記』「天地初発」から導き出される結論について考察します。

 

[原文1-1](再掲)

天地初發之時、

 

[書き下し1-1](再掲)

天地(あめつち)初めて発(あら)はしし時、

 

[註解1-1-1]は前回です。こちら↓

第2回 天地以前(天地初発から天之御中主神まで②) - 『古事記』を読む

 

[註解1-1-2]天地以前に天地が無いということ

 『古事記』は、「天地」から始まります。つまり、「天地」以前に世界は存在しなかったというのが、『古事記』の世界創生譚なのです(異論もあります。前回参照)。

 

 「天地」以前に天地のもととなるような渾然一体となった何物かがあったという想定を『古事記』の描写から読むことは原文を逸脱してしまいます。神野志隆光博士は、『古事記』に世界の始原は書かれていないとしていますが(前回参照、B説)、それが書かれているという前提でも『古事記』を読むことは可能です。

 

 いきなり「天地」から書き始められているということは、「天地」はパッと現れたのでしょうか。でもそうだとすることは、天地が現れる前を想定していることになりますからB説と大差ありませんし、そこに「無」を見るのも仏教を援用している点で『日本書紀』「天地開闢」の援用と同じで、『古事記』の中に『古事記』を読むことにはなっていません。

 素直に『古事記』を読めば、天地初発以前に「天地」は在ったが、それは「天地」では無かったということになります。

 

 ちょっと難解ですよね。『古事記』の冒頭に、そんな思想と呼んで差し支えないようなものの見方が隠れているなんてことがあるのか?それはトンデモではないのか?『古事記』はもっと素朴な神話なはずだ。私も最初はそう思いました。

 

 でも、ちょっと考えて、ここで引き返さずに論考を進めてみようと思いました。ただしトンデモになってしまうのを避けるために、『古事記』の冒頭にオリジナルの思想があると仮定して、その仮定が否定できなければ、その仮定を棄却しよう、そう決心して、あくまでもロジカルに『古事記』を読み進めていくことにしました。

 というのも、『古事記』は世界史的には新しい書物だからです。高度な思想が入り込む余地を最初から否定してしまうことも、トンデモと同様に知的に怠惰な行為です。

  『古事記』が成立したのは、712年です。最新の世界宗教と呼ばれるイスラム教の聖典クルアーンコーラン)』が成立したのが650年頃と言われていますから、それよりもまだ新しいのが『古事記』なのです。

 ちなみに、『クルアーン』と『古事記』は、その成立過程がよく似ています。字が読み書きできなかったムハンマド(モハメッド)は、自身に降りた啓示を信徒たちに口伝します。字が読み書きできないと言うと知的水準が低いように思うかもしれませんが、そうではありません。その時代の文字というのは、最新の表現伝達手段であり、今の感覚だとプログラミングが出来ずソースコードも読めないと言うのと似ています。

 ムハンマドの啓示は、弟子たちによって書き留められますが、意図せずもしくは恣意的に内容が変更されたりして、伝承者や地域によって内容に異同が生じてしまいます。初代正統カリフアブー・バクル(632年 - 634年)はこれに危機を感じ、ムハンマドの秘書を務めていたザイド・イブン・サービトによってクルアーンの編纂作業が開始されます。しかしその後も異説があったため、第3代正統カリフウスマーンクルアーンの正典化を命じ、再びザイド・イブン・サービトのもとにクルアーンの編纂が行われて1冊の書物の形のクルアーン(これをムスハフと言うそうです)が完成します。

 口伝→筆記→異同→編纂→1冊という流れです。

 『古事記』は、天武天皇(第40代天皇)が諸家に伝わる記録(帝紀旧辞)に誤りが多いのを危惧して選録を決意し、よく調べて誤りを正し、稗田阿礼(ひえだのあれ)に正しいとされる帝紀旧辞とを誦(よ)み習わせたのが始まりです。しかしながら選録は天武天皇の存命中には完成せず、元明天皇(第43代天皇)が太安万侶(おおのやすまろ)に、稗田阿礼の誦む正しい旧辞を選録して献上せよと命じて『古事記』が完成します。口伝→筆記→異同→編纂→1冊という流れはまったく同じです。

 

 さて、『古事記』が書かれた頃の712年の日本は、大乗仏教の伝来から200年弱の年月が経っています。600年から始まる遣隋使は全五回を終え、630年から始まる遣唐使も既に八回を数えています。少なくとも『古事記』が編纂された当時の王朝の周辺は、素朴な時代ではないのです。

 釈迦がインド北部のガンジス川中流域のブッダガヤで悟りを開いたのが紀元前5世紀ですから、すでに1200年も経っています。釈迦入滅から『古事記』が完成した712年までの間に、仏教は教義を精密化し、大乗仏教もほぼ完成に近づいています。

 今でこそ日本の仏教は、多くの人にとって葬式の時くらいしか縁がないようなものになってしまっていますが、古来、仏教は近代哲学に遜色ないほどの高度な哲学大系を構築してきました。当時の日本にも、非常に高度な抽象思考が入ってきていたのです。

 

 話を『古事記』に戻します。天地初発以前に「天地」は在ったが、それは「天地」では無かったとすると、それはどのような世界の始原を表しているのでしょうか。

 一般に、物質がある物となるのは、それの使用者がその物質をその物と認識したときです。例えば、石が武器となるのは、石を見た者に、その石で鳥獣を狩ろうという意識が働いた時です。

 そして、それ以前に、石が石となるのも、その石が石を見た者によって、石だと認識された時です。例えば、石と岩の中間の大きさの岩石があって、それが石とされるのは、それを見た人が石だと思った瞬間です。青信号は日本人の目には青ですが、それは信号の色が青だからではなく、日本人が青信号だと認識しているからです。信号の色だけ見ればグリーンです。

 しかし、天地を天地と認識する者は、「天地初発の時」には存在しません。それなのに天地が天地であるということは、天地自体に意識が現れたことを示唆します。

 

 これは、ちょっと意外な帰結です。もう少し吟味を続けていく必要がありそうです。ただし、『古事記』に素朴なエピソードが書かれているからといって、素朴なエピソードの部分以外も素朴な思考が支配していると考える必然性はありません。

 天皇に奏上された歴史書が、ただ素朴なだけの伝承集であると考える方が、不自然だとも言えるでしょう。

 それに、『古事記』の素朴なエピソードは、冒頭の部分ではなくイザナギイザナミの国生みのシーン以降から始まります。それ以前の「天地初発」から始まる冒頭部分は、国生み以降の豊饒な文体とは全く異なり、情報が削ぎ落とされたいわば圧縮された文体で書かれています。

 一般に、書物の書き出しは、書物全体のあり方を規定する大変重要な部分です。それが高度に圧縮されて書かれていることは、その部分が高度な思考のあらわれである可能性も何らの検討もせずに否定すべきではないでしょう。

 また、高度な思考を外来のものに限る必要もありません。思考は知識を元になされますが、知識を超えて認識をグレードアップします。知識と認識との関係は、文学史と文学、哲学史と哲学の関係によく似ています。ある哲学を学んだ者は、思考が高度化されるために、その哲学的知識を離れても事物を高度に捉えることが可能になります。

 外来の高度な思考に触れた当時の朝廷知識人が(天武天皇自身が知識人だった可能性も排除できません)、仏教や道教を離れて、日本の古来の伝承の中に高度な思想を発見し、抽象化して記録した可能性も十分考えられると思います。

(つづく)

 

日亜対訳 クルアーン――「付」訳解と正統十読誦注解

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