『古事記』を読む

文學と逃げず左右思想を持ち込まずスピに走らず学問的蓄積を飛び越えず内在する論理を信じ通説の否定をためらわず

第4回 古代の思考法(天地初発から天之御中主神まで④)

[今回の内容]万物に意志が宿っているとする見方は擬人法ではありません。『万葉集』を参考に、古代の思考法について考察します。

 

[原文1-1](再掲)

天地初發之時、

 

[書き下し1-1](再掲)

天地(あめつち)初めて発(あら)はしし時、

 

[註解1-1-2]は前回です。こちら↓

第3回 天地の初発(天地初発から天之御中主神まで③) - 『古事記』を読む

 

[註解1-1-3]天地の意志

 『古事記』の想定する始原の時、「天地」は存在としては在りましたが、それは「天地」ではありませんでした。「天地」は、「天地」であることに気づき、「天地」であることをはじめます。これが「天地初発」です。

 

 ただし、「天地」が「天地」であることに気づくということは、「天地」に意識を認めることです。ヒトや神々以外に意識ある存在を仮定してしてしまってもよいのだろうかという疑問が生じます。

 ここでは、『古事記』に即してそのことを考える前に、いったん『古事記』を離れて、『万葉集』を題材に、当時の人々の思考法を探ってみることにします。

 

 天智天皇(第38代天皇、在位668-671年)の皇太子時代の歌に次の一首があります。

 香具山は 畝傍(うねび)ををしと 耳梨(みみなし)と 相争いき 神代より かくにあるらし 古(いにしえ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 嬬(つま)を 争ふらしき

(『万葉集』巻一の一三)

 中西進博士はこの歌について、「香具山(女)は新たに現れた畝傍山(男)に心移りして古い恋仲の耳梨山(男)と争った。神代からこうであるらしい。昔もそうだからこそ、現実にも、愛する者を争うらしい 。」と解説しています*1

 山に意識があることが当然のこととして歌われ、山がそうなんだから人もそうなのは仕方ないよねというこの歌では、人が山になぞらえるのではなく、人の方が山に倣っている点で、擬人法とはちょうど逆の比喩表現になっています。

 

 もう一首、香具山を謡った例を挙げます。持統天皇(第41代天皇、在位690-697年)の御製歌です。『古事記』は持統天皇の先代にあたる天武天皇の命により編纂が着手されていますので、まさに『古事記』と同時代の歌といえます。

春過ぎて夏来(きた)るらし 白栲(しろたへ)の衣乾したり 天の香具山

(『万葉集』巻一の二八)

 この歌について、鉄野昌宏博士は、「人々が香具山で衣を干していると聞いた、というのではなく、「「香具山の様子が前と変わって見える。あれは、夏になって山が衣を干しているのだと言われているぞ」ということではないのか」*2と解説しています。人が山に衣を干しているというのではなく、山が衣を干しているのだという考え方は、少なくとも中世までは通常であったそうです*3

 上野誠博士は、鉄野博士の考え方に賛同し、モノに人格がある歌については中国文学の影響を受けた擬人法であるという説があるけれども、そうではなく、古代の思考法が残っていると考えた方がよいと明確に解説しています*4

 天地が意志を持つというのは、当時の人々の思考からは、決してとっぴな発想ではないのです。

(つづく)

 

万葉集 全訳注原文付(一) (講談社文庫)

万葉集 全訳注原文付(一) (講談社文庫)

 

 

 

 

 

*1:中西進万葉集(一)』(講談社文庫、一九七八年)p.55

*2:「万葉研究、読みの深まり(?)~持統天皇御製歌の解釈をめぐって~」(『季刊明日香風』二〇〇七年)pp.7

*3:前掲書pp.5-9

*4:上野誠『日本人にとって聖なるものとは何か - 神と自然の古代学 』(中公新書、二〇一五年)p.24