『古事記』を読む

文學と逃げず左右思想を持ち込まずスピに走らず学問的蓄積を飛び越えず内在する論理を信じ通説の否定をためらわず

第6回 天地初発の訓み(上)(天地初発から天之御中主神まで⑥)

[今回の内容]「天地初発」をどう訓(よ)むかについて、これまでの諸研究を考察し、結論に至るための第一回目です。

 

[原文1-1](再掲)

天地初發之時、

 

[書き下し1-1](再掲)

天地(あめつち)初めて発(あら)はしし時、

 

[註解1-1-4]は前回です。こちら↓

第5回 天地という存在(天地初発から天之御中主神まで⑤) - 『古事記』を読む

 

[註解1-1-5]天地初発の訓み

 『古事記』の書き出しである「天地初発之時、」を「天地(あめつち)初めて発(あら)はしし時、」と書き下しましたが、実は「天地初発」をどう訓(よ)むかについては定説がありません。「発」の読み方に決め手がなかったのです。

 

 本居宣長は、「天地初発之時、」を「天地(あめつち)初めの時、」と訓みました*1。「発」は訓まなかったのです。これについて、宣長は、『万葉集』巻二の一六七歌に「天地(あめつち)の初(メノ)時」という表現あることなどを根拠に挙げています*2が、それでは「発」を訓まない理由にはなりませんので、後世の研究者のほとんどは宣長説を支持していません。

 

 それでは、「テンチショハツ」あるいは「テンチショホツ」で良いのではないかと思うかも知れませんが、『古事記』が書かれた当時は、漢語と和語との区別が今よりももっと厳密であり、『古事記』全体を見ても和語として訓めないところは他にないことから*3、訓み方に決め手はなくとも書き下し文で訓むことが通例となっています。

 

 「天地初発」をどう訓むかについては、様々な研究や論文がありますが*4、広く支持されてきたのは次の2説です。

 [a説]「天地(あめつち)初めて発(おこ)りし時、」

 [b説]「天地(あめつち)初めて発(ひら)くる時、」または「ヒラク」を過去形に訓んだ「天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時、」*5

 しかしながら、どちらの説にも弱点があるために、定説には至っていないのです。

 

 a説については、山口佳紀博士が、「そもそも、「天地」についてオコルと表現することは、日本語として自然ではない。オコルが出現や始発を意味する時、主格に立つ語は、普通、「こと」(抽象的事物)であって、「もの」(具体的事物)ではない。現に、古事記でオコルと訓む「発」の主格は、二例とも「妖(ワザワヒ)」であった。」*6と指摘しており、説得力があると思います。現在では、竜巻が起こるとか雷が起こるといった物質でない「もの」には、オコルを用いる例がありますが、確かに「地」のような手触りのある物質的存在にはオコルは用いません。もちろん、オコルでは、オコル前を想起させますので、天地の前に何も書かれていない『古事記』の冒頭の訓みとしてはふさわしくありません。

 

 b説については、本居宣長が「初發をハジメテヒラクルと訓るはひがごとなり。其はいはゆる開闢の意に思ひ混(まが)へつる物ぞ。抑天地のひらくと云ふは、漢籍言(からぶみごと)にして、此間の古言に非ず。」*7(「初発」をハジメテヒラクルと訓むのは間違いである。それは、天地開闢の意味に影響されたもので、中国の発想に基づく言葉であって日本古来の言葉ではない。)と批判しています。

 宣長は、「発」を「ヒラク」と訓むことに関して、「上つ代には戸などをこそひらくとはいへ、其の餘(ほか)は花などもさくとのみ云て、上つ代にはひらくとは云はざりき。されば萬葉の歌などにも、天地のわかれし時とよめるはあれども、ひらけし時とよめるは、一つも無きをや。」*8(『古事記』が書かれた時代には、戸をヒラクとは言うが、その他は花も咲くとしか言わず、ヒラクとは言わないのである。だから、『万葉集』の歌などにも、「天地のわかれし時」と訓める例はあるけれど、「天地のひらけし時」と訓める例は一つもありはしないのである。)と指摘しています。日本語に無い表現だと言うのです。十分に説得的な批判に思えます。

 a説を批判した山口佳紀博士も、陰陽思想的発想だとしてb説も退けています*9

 

 ところが、『古事記』の序文には、「天地の開闢(ひら)くるより始めて、」という太安万侶の記述があります。つまり、b説を否定することは、『古事記』の編纂者である太安万侶の言を否定することになるのですが、これについては、①『日本書紀』と漢籍との関係、②『古事記』における太安万侶の果たした役割、③『古事記』と『日本書紀』の創生譚の違いの三点から説明が可能です。ここでは本旨から外れますので、次回以降、解説します。

 

 さて、a,b両説を否定した山口佳紀博士は、

 [c説]「天地(あめつち)初めて発(あらは)れし時、」

という説を唱えています*10。「発」を「あらは」と読む点が画期的です。これは慧眼だと思います。私はこの論をさらに進めて、

 [d説]「天地(あめつち)初めて発(あらは)しし時、」

が最も妥当であると考えます。その理由については、次回以降、第7~9回を踏まえ、第10回 天地初めてあらはしし時、(天地初発から天之御中主神まで⑩) - 『古事記』を読むで解説することにします。

(つづく)

古事記注解〈2 上巻 その1〉

古事記注解〈2 上巻 その1〉

 

 

*1:本居宣長古事記伝(一)』(岩波文庫)p.167

*2:前掲書 p.169

*3:三矢重松『國文學の新研究』(中文館書店、一九三二年)pp.6,7

*4:例えば、中村啓信『古事記の本性』「二「天地初發之時」の訓み」(おうふう、二〇〇〇年)など

*5:この両者を本居宣長は『古事記伝』で区別していません。

*6:神野志隆光・山口佳紀『古事記注解〈2 上巻 その1〉』(笠間書院、一九九三年)p.18

*7:本居宣長古事記伝(一)』(岩波文庫)p.170

*8:本居宣長古事記伝(一)』(岩波文庫)p.170

*9:神野志隆光・山口佳紀『古事記注解〈2 上巻 その1〉』(笠間書院、一九九三年)p.18

*10:前掲書 pp.20,21