『古事記』を読む

文學と逃げず左右思想を持ち込まずスピに走らず学問的蓄積を飛び越えず内在する論理を信じ通説の否定をためらわず

第7回 天地開闢の由来(天地初発から天之御中主神まで⑦)

[今回の内容]『日本書紀』の「天地開闢(かいびゃく)」は、「いにしえに天地いまだ別れず、陰陽分かれざりしとき」(古天地未剖、陰陽不剖)は、漢籍淮南子』の「天地未剖、陰陽未判」を参考に書かれています。

[原文1-1](再掲)

天地初發之時、

 

[書き下し1-1](再掲)

天地(あめつち)初めて発(あら)はしし時、

 

[註解1-1-5]は前回です。こちら↓

第6回 天地初発の訓み(天地初発から天之御中主神まで⑥) - 『古事記』を読む

 

[註解1-1-6]天地開闢の由来

 

 『日本書紀』の「天地開闢(かいびゃく)」は次のように書かれています。

古天地未剖、陰陽不剖、渾沌如鶏子、溟涬而含牙。及其清陽者、薄靡而為天、重濁者、淹滞而為地、精妙之合摶易、重濁之凝竭難。故天先成而地後定。

 書き下し文にしてみるとこうなります。

いにしえに天地いまだ剖(わか)れず、陰陽分かれざりしとき、まろかれたること鶏子の如くして、ほのかにして牙(きざし)を含めり。それ清(す)み陽(あきら)かなるものは、たなびきて天となり、重く濁れるものは、つづきて地と為るに及びて、精妙なるが合へるはむらがりやすく、重く濁れるが凝りたるはかたまり難し。故、天まず成りて地後に定まる。然して後に、神聖、其の中に生(あ)れます。

 『古事記』の「天地初発」が、ズバリ「天地初発」という四文字以外に描写がないのに比べ、『日本書紀』の「天地開闢(かいびゃく)」は、しっかりした情景描写です。

 

 現代語訳にしてみます。

昔、天地がまだ別れず、陰陽も分かれていないとき、混沌として卵の中身のように固まっていなかったが、薄暗い中にきざしができていた。やがて清らかな陽の気はたなびいて天となり、重く濁った(陰の)気は滞って地となった。澄んであきらかなものはひとつにまとまりやすかったが、重く濁ったものが固まるのには時間がかかった。ゆえに、天がまずできて地があとからかたまった。しかるのちに神がその中から誕生した。

 天地が渾然一体となっていて、卵の中身のようにドロドロとしている状態の初期宇宙が、やがて天と地に別れていく。それゆえに、『日本書紀』の世界創世神話は、「天地開闢(かいびゃく)」とよばれているのです。「開」も「闢」もひらくという意味です。そして、天は陽の気が、地は陰の気が、それぞれ転じたものとして描かれています。「天地開闢(かいびゃく)」は、陰陽思想がベースとなっているのです。

 

 

 実は、この『日本書紀』の「天地開闢(かいびゃく)」には、元ネタがあることが知られています。

 書き出しの「いにしえに天地いまだ別れず、陰陽分かれざりしとき」(古天地未剖、陰陽不剖)は、漢籍淮南子』の「天地未剖、陰陽未判」を参考にしたものです。

 続く、「まろかれたること鶏子のごとくして、ほのかにしてきざしを含めり」(渾沌如鶏子、溟涬而含牙)は、漢籍『三五暦紀』*1の「混沌状如鶏子、溟涬而含牙」を参考にしたものです。

 それに続く、「それ清みあきらかなるものは、たなびきて天となり、重く濁れるものは、つついて地となるに及びて、くわしく妙へなるが合へるはむらがりやすく、重く濁れるが凝りたるはかたまり難し。故、天まず成りて地のちに定まる。」(及其清陽者、薄靡而為天、重濁者、淹滞而為地、精妙之合摶易、重濁之凝竭難。故天先成而地後定)は、再び『淮南子』の「清陽者薄靡而為天、重濁者淹滞而為地、精妙之合専易、重濁之凝竭難、故天先成而地後定」を参考にしたものです。

 

 「参考にしたものです」と書きましたが、実はほとんど丸写しです。『日本書紀』の記述と、元ネタの漢籍の記述を上下に並べて比較してみると次のようになります。

日本書紀』 古天地未剖、陰陽不剖

淮南子』   天地未剖、陰陽未判

 

日本書紀』 渾沌如鶏子、溟涬而含牙

『三五暦紀』混沌状如鶏子、溟涬而含牙

 

日本書紀』及其清陽者薄靡而為天、重濁者淹滞而為地、精妙之合摶易、重濁之凝竭難。故天先成而地後定

淮南子』   清陽者薄靡而為天、重濁者淹滞而為地、精妙之合専易、重濁之凝竭難、故天先成而地後定

 下線部を比較してみると、ほぼコピペであることが一目瞭然です。『日本書紀』のオリジナルの表現は、上記に続く「しこうして後に、神聖、その中に生れます。」でやっと始まるのです。

 

 本居宣長が、「初発」をハジメテヒラクルと訓むのは間違いである。それは、天地開闢の意味に影響されたもので、中国の発想に基づく言葉であって日本古来の言葉ではないからだと批判した背景には、宣長漢籍の知識があったと思われます。

 

  これに対し、『日本書紀』は、漢籍の表現を借りてきてはいるが、『淮南子』と『三五暦紀』の表現を巧みに組み合わせ、最小限の表現で日本の伝承を漢文で表現することに成功しているとして、漢籍からの引用は日本の発想の否定とまでは言えないとする研究者も多くいらっしゃいます。

 そうなると、「天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時、」と訓んでもかまわないようにも思えます。

 

 しかしながら、ヒラクという表現は、「閉じた」状態からの遷移に他ありません。『古事記』の書き出しは「天地」であり、「天地」の前には何の記述もないことから、「天地」の前の存在を想起させるヒラクという読みは、どうしても「天地開闢」を思わせてしまいます。

 

 『古事記』の「天地初発」は、「天地開闢」と同じなのか、それともオリジナルの世界創生譚なのか、「発」の考察だけでは決着を付けることはできませんでした。そこで私は、「初」にも注目して検討を進めていきたいと思っています。

(つづく)

*1:本文は散逸しており該当部分は『芸文類聚』の引用箇所から