『古事記』を読む

文學と逃げず左右思想を持ち込まずスピに走らず学問的蓄積を飛び越えず内在する論理を信じ通説の否定をためらわず

第10回 天地初めてあらはしし時、(天地初発から天之御中主神まで⑩)

[今回の内容]「天地初発の時」の訓みについての本稿の結論です。神野志隆光博士、山口佳紀博士の研究をベースに、「初」について注目することで新たな結論を得ます。

 

[原文1-1](再掲)

天地初發之時、

 

[書き下し1-1](再掲)

天地(あめつち)初めて発(あら)はしし時、

 

[註解1-1-9]は前回です。こちら↓

第9回 太安万侶の仕事(天地初発から天之御中主神まで⑨) - 『古事記』を読む

 

 [註解1-1-10]天地初発の訓み(その2)

  「天地初発之時」をどう訓むかについて、これまで多くの研究者が採用してきた

[A説]「天地(あめつち)初めて発(おこ)りし時、」

[B説]「天地(あめつち)初めて発(ひら)くる時、」または「ヒラク」を過去形に訓んだ「天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時、」

は、いずれも不適切であることが山口佳紀博士の研究によってあきらかにされていることはすでにご紹介しました*1

 山口博士は、当時の「発」の訓みを全て検討した上で、問題の無い訓みとしてアラハスが残るとし、アラハルとも訓まれた可能性があるとして、

[C説]「天地(あめつち)初めて発(あらは)れし時、」

の訓みを提唱しています*2

 山口博士は、なぜアラハスの訓みを棄却して文献上は可能性に留まるアラハルを採用したのかの理由を明らかにしていませんが、文脈上も*3当時の人々の思考法に即しても*4アラハスの方が自然であり、[D説]「天地(あめつち)初めて発(あらは)しし時、」と訓むのが適切だと考えます。

 本項では、さらに「天地初発」の「初」の用字法からもD説が適切であることを示します。

 そのために、「天地初発の(之)時」という『古事記』の書き出しについて、『日本書紀』の書き出しと比較してみます。

 『古事記』と『日本書紀』とは、読者の視点の誘導という点からは、まったく別の物語の構造を持っています。

 『日本書紀』の書き出しは、「いにしえに天地いまだ別れず、陰陽分かれざりしとき(古天地未剖、陰陽不剖)」(=「昔、天地がまだ別れず、陰陽も分かれていないとき」)です。最初の文字は「古(いにしえ)」であり、これから始まる物語は今から見て昔の話であることの明示になっています。

 今は天地としてこのようにそれぞれあるが、いにしえの時代はそれがまだ分かれておらず、陰陽もわかれていないとき…という書きぶりから、『日本書紀』の書き手は、今(=書き手にとっての今)ある天地の向こうに、いにしえの天地を見ていることがわかります。つまり、書き手は読み手に、現在の天地を念頭に、それが昔はどうだったのかを思いを巡らすことを求めているのです。
 「古天地未剖、陰陽不剖」は、「渾沌如鷄子,溟涬而含牙。」と続きます。天地が分かれていない様子の描写の途中に「陰陽不剖」(陰陽も分かれていないとき)が挟まっています。このことで、書き手は読み手に、陰陽の原理が天地を動かす法則であることを示しています。
 これに対し、『古事記』は、いきなり「天地初発の(之)時」と書き出されます。全く何の情報も与えないままに「天地」が登場することによって、読み手は、冒頭から『古事記』の物語の中に放り込まれます。
 読み手に取って「天地初発之時」の天地は、それがどのような状態のものだかわかりません。どのようにして今(=読み手にとっての今)の天地につながっていくのか、読み手は、書き手にしたがって次の展開(「初発之時」以降)を追っていくしかありません。
 『古事記』の書き出しでは、「天地」に関する情報が皆無であるため、次の「初」、「発」が物語を規定する重要な役割を担います。


 「初」について、山口佳紀博士は、『古事記』でのすべての用例を5つに整理しています*5。カッコ内の数字は善福寺本での行数を示しています。

  1. 記述が時間順序を離れて、一度遡って述べる必要がある場合に、その時間を指す言い方。「ハジメ」と訓む。「茲大神、作須賀宮之時、自其地雲立騰」(上285)・「此太子之御名、所以負大鞆和気命者、所生時、如鞆宍生御腕故、著其御名」(中507)・「天皇為将所知天津日継之時、天皇辞而」(下166)・「大后坐日下之時、自日下之直越道、幸行河内」(下265)・「天皇、逢難逃時、求奪其御粮猪甘老人」(下415)の五箇所に例がある。
  2. それ以前になかった事態が、その時新たに生じたことを示す用法。「ハジメテ」と訓む。「於是、令貢男弓端之調、女手末之調」(中254)の例。
  3. それ以前になかった事態が、その時新たに生じたことを示す用法。「初…時」の構文で用いられる。「ハジメテ…トキ」と訓む。「於是詔之、上瀬者瀬速、下瀬者瀬弱而、於中瀬随迦豆伎而滌時、所成神名、八十禍津日神」(上164)の例。
  4. 連体修飾的用法。「於是火遠理命、思其事而、大一歎」(上603)の例で、「ハジメノ」と訓む。
  5. 連体修飾的用法。「故、称其御世、謂所知国之御真木天皇也」(中255)の例で、「ハツ」。初国はハツクニと訓む。

 「天地初発之時」の「初」は、「初…時」の構文になっており、「3」に該当します。

 山口博士の上記の整理は、「初」の訓みのためになされたものですが、ここに「発」の解釈のためのヒントを見ることができます。

 「3」の「於是詔之、上瀬者瀬速、下瀬者瀬弱而、於中瀬随迦豆伎而滌時、所成神名、八十禍津日神」(上164)の例ですが、これは伊耶那岐(イザナギ)が河に飛び込んで禊ぎをするところの描写です。上の瀬は流れが速く、下の瀬は流れが弱いから「初めて」中ほどの瀬に飛び込んで身をすすいだというシーンです。

 八十禍津日神(やそまがつひの神=さまざまな禍(災い=まがごと)をもたらす神)というのは、中ほどの瀬で伊耶那岐(イザナギ)が身をすすいだ時に誕生した神で、その後にまがごとを直す神も誕生します(「次大禍津日神。此二神者、所到其穢繁國之時因汚垢而所成之神者也。次為直其禍而所成神名、神直毘神。次大直毘神。次伊豆能賣神。」)。

 伊耶那岐(イザナギ)の禊ぎのシーンはさらに「次於水底滌時所成神名、底津綿上津見神。次底筒之男命。於中滌時所成神名、中津綿上津見神。次中筒之男命。於水上滌時所成神名、上津綿上津見神。次上筒之男命。」へと続きます。

 中ほどの瀬に飛び込んだ伊耶那岐大神は、飛び込んだ際に身を滌ぎながら沈降し、水底まで潜って身を滌ぎ、水の中程まで浮上したところで身を滌ぎ、川面まで浮上してきたところでまた身を滌ぎます。つまり、「於中瀬随迦豆伎而滌時」は、「次於水底滌時」、「於中滌時」、「於水上滌時」の一連の動作の最初の動作として書かれているのです。

 「初」は後に続く動作の初回を表しているのです。

 このため、[C説]「天地(あめつち)初めて発(あらは)れし時、」では、読者に「次に発(あらは)れし時」、「その次に発(あらは)れし時」、「そのまた次に発(あらは)れし時」を期待させてしまいます。二回目三回目の「天地(あめつち)初めて発(あらは)れし時」があることになってしまうのです。

 もし、「発」をアラハルと訓むのなら、[C説]「天地(あめつち)初めて発(あらは)れし時、」ではなく、「天地(あめつち)発(あらは)れし時、」と訓まなければ『古事記』のストーリーが整合性を持たなくなってしまいます。

 「初」と「発」とが並んでいるために、二回目三回目の「アメツチアラハレシトキ」の可能性が立ち現れてしまうのです。

 「アラハル」は、「消える」や「去る」を思い起こさせる言葉であり、「あらわれ」ては「消え」また「あらわれ」ては「消え」る可能性を読み手に想起させるないためには、「初」は不要です。また、『古事記』に天地の消滅の話が無いことからも、『古事記』全体の文脈から考えて「アメツチハジメテアラハレシトキ」から話が始まるのは、適切ではないように思われます。
 『古事記』の冒頭はわずかに233文字で構成されています。これ以上ないほど簡潔に書かれた冒頭部分に、無駄な文字は一文字もないと考えるのが自然です。「発」の訓みは、「天地初発之時」をむしろ「天地発之時」とした方が誤解がないようなものではないはずなのです。

 だからこそ、本居宣長は、『万葉集』の「天地之初時」の記述を参考にしながらも、敢えて発の字を単独では訓まずに、初と発をあわせてハジメと訓んだ可能性もあるように思います。本居宣長の訓みが「初」と「発」のどちらかを訓まない変則的な訓みであり不自然である以上、残る選択肢は、「アラハス」しかありません。

 「アラハス」であれば、それが二度三度になるかならないかは、「アラハス」主体(天と地)の決断で決まるために、読み手の期待からはニュートラルになり、「アラハル」を採用する際の問題は生じません。

 「天地初発之時」 は、[D説]「天地(あめつち)初めて発(あらは)しし時、」としか訓めないのです。