第12回 天之御中主神に関する3つの誤解(上)(天地初発から天之御中主神まで⑫)
[今回の内容]天之御中主神(あめのみなかぬしの神)には、根強い3つの誤解があります。1つめは、天の中心という特定の場所にいる神であるという誤解。2つめは、中心という抽象概念を神としたものであるという誤解です。(全2回の1)
[原文1-2]
[書き下し1-2]
[註解1-2-1]天之御中主神(あめのみなかぬしの神)の神名理解
天之御中主神(あめのみなかぬしの神)は、「天」「の(之)」「御中(御は敬称)」の「主」である「神」に分解できます。
「神」は、「縄文以来の様々な神霊観の総称」であり、『古事記』編纂時にほど近い比較的新しい概念であって、『古事記』に登場する神々の多くは「神」の字を接尾語と考えて取り払っても成立することが、溝口睦子*1氏の研究によって明らかです*2。
つまり、「主」は「神」と同格の神聖性を持ったことばであり、天之御中主神(あめのみなかぬしの神)は、天之御中主(あめのみなかぬし)だけでも意味が通じます。
ただし、「神」は総称ですから、「主」は「神」の部分集合です。逆に言えば、どのような「神」であるかは「主」によって規定されていることになります。
「主(ヌシ)」は、「ノ+ウシ」の発音が変化したもので、ウシは領はく(うしはく)と語源を同じくするその土地を領有する者という意味です。
「天の御中」ですが、日本の上代の文献には天の中央に価値を置く記述は皆無であることが、寺田恵子*3氏の研究によって明らかになっています*4。
つまり、天之御中主神(あめのみなかぬしの神)は、天の中央という特別に価値のある聖なる場所があってそこを司る神なのではなく、天之御中主神(あめのみなかぬしの神)によって天に聖なる中心がもたらされたことが、意義あることなのです(初代の領主は、二代目三代目の土地ありきの世襲の領主とは異なり、その土地を見出したがゆえに領主となります)。
実際、寺田氏は、同じ研究で、天の中心に最高神がいるという思想は日本のものではなく、中国大陸のものであることを明らかにしています。
[註解1-2-2]1つめの誤解を解く:天之御中主神は、特定の天の中心という場所にいる神ではない
全国に天之御中主神(あめのみなかぬしの神)を祀る神社は少なからずありますが、これらは全て、室町時代以降に道教の北極星信仰が仏教に導入されたことによる妙見菩薩信仰や、あるいは福岡県宗像市の摩利支(マリシ)神社のように摩利支天(摩利支は太陽や月の光線であり、陽炎の神)などの仏教守護神の信仰がもとで、それらの仏教の神々と天之御中主神(あめのみなかぬしの神)が習合し、その後、明治の神仏分離政策によって天之御中主神(あめのみなかぬしの神)だけが祭神として残ったものです。
すなわち、現在、天之御中主神(あめのみなかぬしの神)を祀っている神社は、どれも本来の天之御中主神(あめのみなかぬしの神)を信仰対象としていません。
天之御中主神(あめのみなかぬしの神)は皇室が祀る神であり、旧来は庶民の信仰対象としての神社の祭神とはなりえなかったのです。
そして、天之御中主神(あめのみなかぬしの神)は、海外に読まれることを想定した公式史書である『日本書紀』では本文からは外されて「一書に曰く、」に記されるのみで、他の豪族が保持する文献には一切登場しないにもかかわらず、後の天皇への教育目的でもあったと言われる*5『古事記』では最初の神として取り上げられていることから、皇室でも秘された神ないしは天皇一族に限定されて祀られていた特別な神だったと思われます。
さて、習合され分離されたあとの天之御中主神(あめのみなかぬしの神)信仰は、習合のもととなった仏=神の性格そのままですから、本来の天之御中主神(あめのみなかぬしの神)の性格とは異なるものです。
もっとも、まったく違った神と習合することはあり得ませんから、何らかの一致点はあります。しかしながら、その一致点は本来の性格の一部分に過ぎないため、その一部分をもって天之御中主神(あめのみなかぬしの神)の性格であるとするわけにはいきません。
具体的には、妙見菩薩由来の天之御中主神(あめのみなかぬしの神)は北極星の神であり、摩利支天由来の天之御中主神(あめのみなかぬしの神)は太陽や月の光線の神です。どちらも天の中心と考えられていたために習合されたのです。
逆に言えば、本来の天之御中主神(あめのみなかぬしの神)はその全ての神です。
天の中心が指すものは様々です。空を廻る星々の中で、唯一動かぬ北極星を天の中心と見る人がいます。星空で一番明るいシリウスを天の中心と見る人もいます。夜空で最も明るい月を天の中心と見る人もいます。天は夜空だけではありません。太陽を天の中心と見る人もいます。特定の天体である必要もありません。巨大な銀河の中心、レンズの形の一番厚みのあるところの真ん中の位置、ここを天の中心と見る人もいるかもしれません。天之御中主神(あめのみなかぬしの神)は、そのどれをも表象する神なのです。北極星やシリウスや月や太陽などの特定の場所に縛られる神ではないのです。
[註解1-2-3]2つめの誤解を解く:天之御中主神は、抽象神ではない
天之御中主神(あめのみなかぬしの神)は、北極星の神やシリウスの神や月の神や太陽の神であって、かつそのどれもの神でもあります。これは、中心という抽象概念が神化されたものではありません 。
天之御中主神(あめのみなかぬしの神)の次に誕生するのは、高御産巣日神(たかみむすひの神)ですが、この神について、日本古代史学者の溝口睦子氏は、ヒ(=日)の神であっても単純な太陽神ではなく、「同時に天帝でもあり、またときには日月とも言い換えられる、ある意味では、観念的な性格をもった神であった」*6ことを明らかにしています。
天之御中主神(あめのみなかぬしの神)は、『古事記』では「この三柱の神」として、2柱の産巣日神(むすひの神)とセットで語られます。産巣日神(むすひの神)が持つ太陽神でありながら「同時に天帝でもあり、またときには日月とも言い換えられる」重層性を、天之御中主神(あめのみなかぬしの神)も備えていると考えることは、大変自然です。
抽象概念を観念的な神とするのは、中国思想であって日本古来の思想にはないことがわかっています。天之御中主神(あめのみなかぬしの神)は、「中心」という抽象的な概念が神として信仰されたのではなく、多くの人々が中心と思う具体的なそれぞれをわけへだてなく時には同時にあらわした神であると考えられます。
中心は多様です。それは、人によって中心として認識するものが多様だからです。人は中心という概念を共通認識としてもっていても、それを具体として認識する段で様々に多様化してしまいます。北方ユーラシアの人々は騎馬遊牧民であり、常に移動し様々な部族と交流する中で、複数の具体を同時に、あるいは同じ抽象概念を持つ具体間を自由に往復するような観念化の智慧を手に入れたのだと思います。
日本は騎馬遊牧民ではありませんが、当時の日本はユーラシア大陸の終着地として様々なルーツを持つ諸民族が日本人として融合していく過程にありました。移動を伴わなくても文化背景を異にする人々とコミュニケーションする機会に溢れていたはずです。移動という手段を経ずしても、多様を多様のままに観念化し、抽象と具体とを、また同じ抽象の異なる具体間を自由に行き来する神概念を取り入れるヒントが日々の生活や政治にあったと思われます。そしてこの知恵を手にしたからこそ、天皇の一族は天皇として日本を統べ、またこの知恵を秘して祀ったのではないでしょうか。