『古事記』を読む

文學と逃げず左右思想を持ち込まずスピに走らず学問的蓄積を飛び越えず内在する論理を信じ通説の否定をためらわず

第2回 天地初発は世界の始原の表現か(天地初発から天之御中主神まで②)

[今回の内容]『古事記』は「天地初発」という書き出しについて、天と地がある以前が書かれていないということについて考察します。

 

[原文1-1]

天地初發之時、

 

[書き下し1-1]

天地(あめつち)初めて発(あら)はしし時、

 

[註解1-1-1]天地初発は世界の始原か

 

 『古事記』の書き出しは「天地初発」ですが、これについては、二とおりの解釈が可能です。

 ひとつは、「天地初発」を世界の始まりの描写とするもの(A説)。もうひとつは「天地初発」は世界の始まりの描写ではないとするもの(B説)です。

 A説は私の考えです。そして、世の中の主流はB説です。B説にはバリエーションがあります。

 まず、本居宣長の説ですが、本居宣長は『古事記伝』で、「さてかく天地の初発といへるは、ただまずこの世のはじめをおおかたにいへるコトバにして、ここは必ずしも天と地との成れるを指していへるにはあらず。」と書いていて、世界の始まりを後段の記述である「浮ける脂」に求めます。浮いた脂(あぶら)のような状態だった世界が天と地とに分かれていくというのです。

 ところが、この読み方には無理があります。「浮ける脂」は、「次に国わかくして浮ける脂のごとくにしてクラゲなす漂える時に」の一部であり、「天地初発の時」の次の「時」の描写ですから、世界の始まりを「浮ける脂」が描写するというのでは時が錯綜してしまいまうからです。

 また、本居宣長は、国之常立神(クニノトコタチの神)からイザナミイザナミまでを「浮ける脂」のうち地になるものの中から発生した神々と捉えていますから、それらの神々は「高天原」に生まれていないことになり、『古事記』原文から離れてしまいます。

 この「高天原」との関係に注目した、文脈からの本居説の否定は、神野志隆光博士の『本居宣長古事記伝』を読むⅠ』(講談社、2010)に大変丁寧に書かれています(pp.28-34)。

 本居説は、天地のはじめの解釈に『日本書紀』の「天地開闢」を援用しているのは明らかです。これをもっと推し進め、天地初発=天地開闢としてしまったのが「記紀神話」です。

 『古事記』と『日本書紀』は、ほぼ同じ時期に編纂され、内容も神代から始まる日本の歴史が書かれていて似通っています。また、両書はともに先行する多くの書物を参考にして書かれていますから、今はまだ見つかっていない失われた日本原神話のようなものがあって、『古事記』も『日本書紀』もそのバリエーションに過ぎないという考え方が「記紀神話」です。

 これは、『古事記』を補完が必要な書物とみなしているのですから、『古事記』の価値を低く見る思想です。『古事記』を貶める読み方が、戦時中に国家主義の思想教育の柱として利用されていたのですから、戦時中は『古事記』にとって不遇の時代だったと言えるでしょう。

 残念なことに、現在も「記紀神話」時代の余韻で、『古事記』に原文には書いていない「天地開闢」を読んでしまう解釈が世の中に残っています。

 これに対し、はっきりとNOだと学術的に明確に論証した研究者の筆頭が、神野志隆光博士です。今では、『古事記』を「記紀神話」的に読む研究者はまずいません(関連学会に属していない自称研究者は除きます)。『古事記』は「天地開闢」しないのです。

 では、『古事記』には何が書かれているのでしょう。神野志博士は、「天地となって世界が動きはじめた、そのはじめのとき、とだけいうのが、「天地初発之時」なのである。どのようにして天地となったかはふれないのである。」(『古事記とはなにか』講談社学術文庫、2013年)と書いています。天地初発以前にも世界はあったが、それについては『古事記』には書かれていないという解釈です。

 書かれていない理由として同書で神野志博士は、『古事記』は天皇の正統性を目的にした書物だから天地存在以前には関心が払われていないのだとしています。

 神野志先生の、『古事記』を『日本書紀』に拠らないで独立した作品として『古事記』の中に『古事記』の世界を求めようという立場に、私も100%賛同していますが、この点については、私は、「天地初発」を世界の始まりの描写としてこだわっています。

 世界が形成されていく様を書き綴った『古事記』に、世界の始原の描写がないのは不自然だと思いますし、天皇の正統性を主張するのに世界の始まりの記述が妨げになるとは思えません。

 世界の始原は、書いても書かなくてもいい事柄ではないはずです。それを書いたことによって天皇の正統性を損なうのでなければ、仮に『古事記』が天皇の正統性を謳うことのみを目的とした書物であったとしても、書かれない理由が思い浮かびません。

(つづく)

 

古事記伝 1 (岩波文庫 黄 219-6)

古事記伝 1 (岩波文庫 黄 219-6)

 

 

本居宣長『古事記伝』を読む 1 (講談社選書メチエ)

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