註解
[今回の内容]高天原は、天之御中主神とセットで語られることで『古事記』のコスモロジーを豊かに定義づけています。そして、高天原をさらに理解するために、2つの鍵が存在します。1つは、『日本書紀』本文には採用されていないこと。もう1つは、イザナ…
[今回の内容]高天原は、天之御中主神とセットで語られることで『古事記』のコスモロジーを豊かに定義づけています。そして、高天原をさらに理解するために、2つの鍵が存在します。まず、1つめは、それが『日本書紀』本文には採用されていないことです。…
[今回の内容]天之御中主神(あめのみなかぬしの神)には、根強い3つの誤解があります。天の中心という特定の場所にいる神であるという誤解と、中心という抽象概念を神としたものであるという誤解と、宇宙の創造神であり主宰神であるという誤解です。(全…
[今回の内容]天之御中主神(あめのみなかぬしの神)には、根強い3つの誤解があります。1つめは、天の中心という特定の場所にいる神であるという誤解。2つめは、中心という抽象概念を神としたものであるという誤解です。(全2回の1)
[今回の内容]「天地初発の時」の訓みについての本稿の結論です。神野志隆光博士、山口佳紀博士の研究をベースに、「初」について注目することで新たな結論を得ます。
[今回の内容]『古事記』の「序文」に、「天地の開闢(ひら)くるより始めて、」と、『古事記』の書き出しが「天地開闢」であることを示す記述があります。そのことについて考察します。
[今回の内容]『古事記』の「天地初発」を、『日本書紀』の「天地開闢」や『旧約聖書』「天地創造」の考え方に比較します。
[今回の内容]『日本書紀』の「天地開闢(かいびゃく)」は、「いにしえに天地いまだ別れず、陰陽分かれざりしとき」(古天地未剖、陰陽不剖)は、漢籍『淮南子』の「天地未剖、陰陽未判」を参考に書かれています。
[今回の内容]「天地初発」をどう訓(よ)むかについて、これまでの諸研究を考察し、結論に至るための第一回目です。
[今回の内容]天地が意志を持つ存在であるということについて、前回、『万葉集』を題材に、古代の人々の思考においては、決してとっぴな発想でないことをみてきました。しかしながら、天地に意志を認めるとして、それは神ではないのでしょうか。『古事記』…
[今回の内容]万物に意志が宿っているとする見方は擬人法ではありません。『万葉集』を参考に、古代の思考法について考察します。
[今回の内容]「天地」以前に世界は存在しませんでした。「天地」以前の世界をどう捉えるべきかについて、『古事記』「天地初発」から導き出される結論について考察します。
[今回の内容]『古事記』は「天地初発」という書き出しについて、天と地がある以前が書かれていないということについて考察します。